PRIDE、修斗、UFC色々書きなぐり

ネガティブにばかり考えるとPRIDEファンは怒るだろうが、地上波がつかない以上(もちろん個人的にはつくことを願っている)規模は縮小していかざるをえない。地上波撤退後も以前に負けないレベルのマッチメークを最終回を除いてしていたが、あれは採算を度外視したいたちの最後っ屁的な所があった。地上波無しの運営なら日本人中心、そして抱えた選手の豊富な(ほとんど修斗の選手)軽量級が中心になっていく形になっていくのか。PRIDEの軽量級だが、73キロという階級の設定をした結果一時的には盛りがったが(自分はそうでもない)、UFCの巨大な渦に飲まれた結果その階級が消滅の危機にある。

結果論なのかもしれないがUFCや修斗に存在する階級をPRIDEも設定しておけば、選手が階級で分かれてさほど盛り上がらなかったかもしれないが、団体が無くなることを除けば階級が消滅するようなことは避けられたし、選手がリミット体重の差異で調整に苦しみパフォーマンスを低下させるようなことも無かった。川尻なんかは73に適応させようとしてかなり体格以上のパワーをつけようとしたように自分には思えたが、70に階級リミットが戻ったときその反動がこないか少し心配だ。

PRIDEが規模を縮小していった結果軽量級に焦点が移っていくとして、軽量級に焦点が当たる別プロモーションといえばやはり修斗が思い浮かぶ。修斗も99年まではヴァーリトゥードジャパンという修斗公式戦と一線を画すイベントで人気選手、強豪選手を多く起用する興行をやっていた。99年のVTJではスカパーPPVもついて、ルミナ、宇野、マッハ、五味(当時はまだ上がっていく段階の選手だが)と軽量級のトップ選手が勢ぞろいする興行だった。地上波は無いにしろ会場収入とスカパーPPV収入というところは現在のPRIDEといっしょになる。

修斗はPRIDEと本格交流する前は現在総合最高峰に位置するUFCと交流をしていた(まあ修斗側の選手がUFCに出る形がほとんどだったが、マッハが修斗の実績が高く評価されたとはいえ初参戦で王座戦というのは団体の交流の影響といえる)。階級のリミットもほぼ同じなので、そこで苦しむ選手はいなかった。しかしこの交流も自然消滅的に消え、修斗はPRIDEと本格交流を始める。まあこの頃はUFCはPRIDEの二番手だったし、そういう選択肢はやむを得なかったのか?まあUFCがPRIDEをいずれ牛耳るだろうから、PRIDEとは交流なんかせんとUFCと積極的に交流しよう的な発想が出来る人はさすがにいないだろうし。

興行ありきのPRIDEと決してそうではなく興行ごとにプロモートする人が違う修斗という違いが有るにせよPRIDEが軽量級中心に移行して修斗の選手が集まるくらいなら、修斗も年に、3度、4度、軽量級のトップ選手(今でいう五味、青木、マッハ、KID,宇野、etc)が勢ぞろいするビッグイベント(なんなら公式戦ではあるけどヴァリジャパ的な別イベント名もつけて)を継続的にやっていって、UFCとも本格交流をして、スカパーPPVをつけ、ゆくゆくは地上波もという形でやっていたほうが総合格闘技と日本における発展という意味ではよかったように思う。PRIDEやHERO’Sで修斗出身の選手がメインイベンターとして活躍するよりは少なくとも。

以前なにかのインタビューで99年ルミナvs宇野の王座戦(これが初修斗スカパー生中継PPVだったと思う)でルミナが戴冠すれば次は横浜アリーナクラスのイベントを考えていたというたぶん坂本プロデューサーのインタビューだったと思うが、もしルミナが王者になっていれば修斗の興行としての側面ももっと大きくなっていたのかもしれない。修斗のファイトマネーが低いからよそのプロモーションに選手がもっていかれるんだという話になってしまうが、年4度くらいのビックイベントがプロモートできる形になっていく、かつUFCとの交流もうまくいっていたなら、それこそ軽量級に関しては競技としてだけでなくても興行、ファイトマネーという側面においても修斗がナンバーワンであれたかもしれないというか、あってほしかったという気持ちがある。少なくともPRIDEやHERO’Sじゃないだろうと・・・。PRIDEは確かにおもしろかったが一発花火屋的な側面があったというか、重量級のトップ選手を高額マネーで集めれるうちはよかったけど、それができなくなって日本人中心、軽量級中心になって、そこの選手が修斗出身者ばかりでイベントの存在意義はどうなのかなと。