榊原さんと森下さん

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/headlines/20071004-00000024-spnavi-fight.html
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/headlines/20071004-00000026-spnavi-fight.html
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/headlines/20071004-00000031-spnavi-fight.html
PRIDEといえば榊原氏が高田vsヒクソンを企画、実現して生まれたイベントだったが、PRIDE1〜4まではとても続けていけるような状態ではなかった。そのイベントをPRIDE5以降故森下氏がDSEを立ち上げPRIDEを引き継ぎイベントを運営していくことで、黒字に転換するようなイベントになっていったと思う。地上波との付き合い方もあくまでPPVを重視し、それまでの深夜や数日遅れでの放送ではなく、ルールを変えていい時間帯で地上波でというオファーも断り、会場やPPVのファンを中心に考えPRIDEをあそこまで大きくしていった。

2003年の年明けの発言などを見ても、クリーンな会社経営を目指しもっとPRIDEをよくしたいという思いが感じられた。がその直後不可解な自殺を遂げてしまう(一説にはある人に当日ゴールデンタイムでの放送を強要されたが、それを頑に拒否して揉めたりしてたという説もあるが)。それ以後代表権は榊原氏に移りワンマン体制に近い形で榊原氏がPRIDEを運営。すぐにゴールデンタイム当日放送も決まり着実に人気を増し規模を拡大していき順風満帆にも見えるPRIDEだった。が・・・・。

2003年大晦日での事件が発端になり、反社会組織との関係を週刊誌に書かれ、地上波放送撤退。以降ジリ貧に収益が下がっていきズッファ社に売却、そしてDSEから委譲されたPFCWWも今回解散になってしまった。結果論なのかもしれないが、森下氏が亡くなった時点でPRIDEはこうなる運命だったように自分は思う。榊原氏は一見PRIDEを拡大させてたように思うが、元ライブドア堀江氏みたいにバブル的な足元が見えてないとこがあったように思う。森下氏がもし生きていてPRIDEを継続的に運営していていればここまで人気が出て大きくはならなかったかもしれないにせよ、買収を許すことなく堅実な会社運営でPRIDEを守っていたような気がする。

榊原氏は高田vsヒクソンを発案、企画、そしてそれを実現してPRIDEというイベントを作り出すなど凄い企画力、行動力を持った人だったとは思うが、それをビジネスとして回す才能はどうだったのか。両輪として榊原氏と会社運営に長けた森下氏がお互いをサポートするような形で初めてPRIDEは成り立っていたんじゃないだろうか。その片方が欠けてしまった時点でPRIDEは終わりの道を進み始めていたように自分は思う。締めに使っていいのか、バウレビ編集長がまたPRIDEについて書いてるのでそれを紹介して締めます。
http://allabout.co.jp/sports/k1/closeup/CU20070928A/
http://allabout.co.jp/sports/k1/closeup/CU20071004B/index.htm
これを見ると榊原氏に会社運営の才があったかはわからないが、会社売りぬけの才はあったのかもしれない。